1989年 胆振線廃線跡をバスでたどる
- 2020/08/17
- 22:57
倶知安と伊達紋別を結んでいた胆振線。
1986年に廃線になったのですが、その3年後にバスで後をたどりました。
バスでの移動だったので写真は極端に少ないですが…。
倶知安駅から胆振線代替バスに乗り込みました。
1989年8月8日 函館本線倶知安駅
倶知安から13.4km、交換設備があった京極駅でバスはしばらく停車しました。
京極駅からは、1970年まで脇方駅への支線が分岐していました。
また有名な循環急行いぶりの停車駅でもありました。
当時すでに駅舎は撤去されていましたが、島式ホームが残っていました。
1989年8月8日 胆振線京極駅跡
さらに一気に59.3km、昭和新山を目の前に臨む壮瞥駅跡で下車しました。
この駅もいぶりの停車駅でした。
1989年8月8日 胆振線壮瞥駅跡
壮瞥駅跡からはわずか2駅、10.3kmで本当は伊達紋別に到着…なのですが、
壮瞥から洞爺湖に行ってしまい、伊達紋別に行くことはありませんでした。
1986年に廃線になったのですが、その3年後にバスで後をたどりました。
バスでの移動だったので写真は極端に少ないですが…。
倶知安駅から胆振線代替バスに乗り込みました。

1989年8月8日 函館本線倶知安駅
倶知安から13.4km、交換設備があった京極駅でバスはしばらく停車しました。
京極駅からは、1970年まで脇方駅への支線が分岐していました。
また有名な循環急行いぶりの停車駅でもありました。
当時すでに駅舎は撤去されていましたが、島式ホームが残っていました。

1989年8月8日 胆振線京極駅跡
さらに一気に59.3km、昭和新山を目の前に臨む壮瞥駅跡で下車しました。
この駅もいぶりの停車駅でした。

1989年8月8日 胆振線壮瞥駅跡
壮瞥駅跡からはわずか2駅、10.3kmで本当は伊達紋別に到着…なのですが、
壮瞥から洞爺湖に行ってしまい、伊達紋別に行くことはありませんでした。
スポンサーサイト