2021年 日本硫黄沼尻鉄道 沼尻駅跡の今
- 2021/06/05
- 12:59
安達太良山登山後、沼尻に下山しました。
沼尻と言えば、1969年に廃止となった磐梯急行電鉄の終点駅。
実態とかけ離れた磐梯急行電鉄という最後の名称よりも、
もとの日本硫黄沼尻鉄道の方がふさわしいですが。
まずは現在の沼尻駅舍。
リフォームされて、それほど古さは感じさせません。
どこかの公民館のようです。
2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
現在駅舎は使用されていません。
屋内をのぞくと何かのイベントで使用されるのか、
DC122の描かれた板がありました。
ちなみにここには30年前にも訪れています。
この時にはすでにリフォームされてきれいな姿でした。
この頃は観光会社の事務所として使用されていました。
1990年8月20日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
駅跡にある説明板にあった、現役時代の沼尻駅舎の写真。
ほぼ同じ角度(駅舎は向きを変えているそうですが)から見た現在の駅舎。
2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
沼尻駅では沼尻鉱山で採掘された硫黄が積み込まれていました
駅舎の隣にある倉庫は、かつて硫黄積込場だったそうです。
2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
沼尻駅跡からちょっと戻った場所に、かつての橋桁が残っています。
今も生活通路として利用されています。
2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道跡木地小屋~沼尻
その先、いかにも軽便らしい廃線跡が残っています。
ただ電気柵でこれ以上進めないようになっていたのが残念…。
2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道跡木地小屋~沼尻
さて、安達太良山からの下山中、はるか下に中の湯温泉源泉が見えます。
ここらがかつての沼尻の硫黄鉱山跡です。
鉱山跡付近にはこんな感じで廃れた風景が…。
ここで取れた硫黄がかつては沼尻鉄道によって運ばれていました。
今は温泉の湯の花採取場になっていました。
お土産に、外にあふれていた湯の花を拾って持って帰りました。
家のお風呂が温泉になりました。
沼尻と言えば、1969年に廃止となった磐梯急行電鉄の終点駅。
実態とかけ離れた磐梯急行電鉄という最後の名称よりも、
もとの日本硫黄沼尻鉄道の方がふさわしいですが。
まずは現在の沼尻駅舍。
リフォームされて、それほど古さは感じさせません。
どこかの公民館のようです。

2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
現在駅舎は使用されていません。
屋内をのぞくと何かのイベントで使用されるのか、
DC122の描かれた板がありました。

ちなみにここには30年前にも訪れています。
この時にはすでにリフォームされてきれいな姿でした。
この頃は観光会社の事務所として使用されていました。

1990年8月20日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
駅跡にある説明板にあった、現役時代の沼尻駅舎の写真。

ほぼ同じ角度(駅舎は向きを変えているそうですが)から見た現在の駅舎。

2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
沼尻駅では沼尻鉱山で採掘された硫黄が積み込まれていました
駅舎の隣にある倉庫は、かつて硫黄積込場だったそうです。

2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道沼尻駅跡
沼尻駅跡からちょっと戻った場所に、かつての橋桁が残っています。
今も生活通路として利用されています。

2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道跡木地小屋~沼尻
その先、いかにも軽便らしい廃線跡が残っています。
ただ電気柵でこれ以上進めないようになっていたのが残念…。

2021年6月1日 日本硫黄沼尻鉄道跡木地小屋~沼尻
さて、安達太良山からの下山中、はるか下に中の湯温泉源泉が見えます。
ここらがかつての沼尻の硫黄鉱山跡です。

鉱山跡付近にはこんな感じで廃れた風景が…。
ここで取れた硫黄がかつては沼尻鉄道によって運ばれていました。
今は温泉の湯の花採取場になっていました。

お土産に、外にあふれていた湯の花を拾って持って帰りました。
家のお風呂が温泉になりました。
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