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1990年 寂れた上砂川駅の風景

かつて、函館本線には上砂川支線という短い盲腸線がありました。
1994年に廃線になる前、1990年に上砂川駅を訪問しました。
 
砂川駅から7.3km、16分で終着の上砂川駅に到着です。
1990年当時はJR北海道塗色のキハ22が運用に入っていました。
寂れた広い構内に単行気動車がポツンと停車します。

1990年7月24日 函館本線上砂川支線上砂川駅 キハ22 702 726D
 
上砂川駅舎。
北海道にありがちな三角屋根の駅舎です。
ドラマのロケで駅が利用されたので、「悲別駅」の駅名票がついています。

1990年7月24日 函館本線上砂川支線上砂川駅 
 
上砂川は三井砂川炭鉱があった頃は栄えたようですが、

閉山後は町がさびれて、この支線も廃線となったのでした。

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コメント

No title

こんばんは。
この4年前に砂川駅を訪問したときに撮影した上砂川支線の車両はキハ54でした。やっぱりキハ22のほうが絵になってよいですね。
その時は上砂川駅を訪問せずにちょっと後悔しましたが、その当時の砂川駅の様子をトラックバックしますね。

No title

きゃみ様
上砂川支線にもキハ54が走っていたんですね。
当時の最新鋭の車両がガラガラの超ローカル線を走っていたとは不思議な感じです。
本当はキハ22もJR北海道色よりはタラコの方が赤字ローカル線らしかった気がします。
乗りに来るのがちょっと遅かったです。

No title

こんにちは。
炭鉱の町に向けて細かく延びていた支線やローカル線、私鉄の数々も、殆どが廃止されてしまいました。遂に石勝線夕張支線の廃止が決まったことで、石炭を運んだ鉄道の歴史そのものが終わろうとしています。
炭鉱に活気があり、石炭を盛んに運び出していた頃には、鉄道路線としても大きく黒字を出していたと聞いたことがあります。その貨物が一切なくなり、人もいなくなり、鉄道だけが最後の最後まで土地に根付いて残っていたことになります。
キハ22形を見ますと、北海道の鉄道を様々連想させてくれますが、明るいJR北海道のカラーを纏っても、炭鉱で、寂れた駅に停まっている様子は、やはり寂しいものですね。
ごく少ない乗客を乗せて走っていた姿、私も自分の足でその駅に立ってみて、列車に乗ってみたかったと改めて思います。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

No title

風旅記様
この時の上砂川駅はもうすでに寂れ切った駅でした。
運炭路線はどこも栄えた時代があっただろうに、その姿を見ることができなかったのが残念です。

夕張支線も来年には消え、石炭産業とともに発展した鉄道の歴史が終焉を迎えるわけですね。

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●kuromaru

Author:●kuromaru
興味の対象が国内鉄→海外鉄→保存鉄と移り変わってきました。
蒸機が好き。高いところが好き。俯瞰写真が好きですが、最近は保存車両巡りばかりです。

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